「ショートフィルム」と「才能」と「仕事」
山崎が俳優を志したのが20歳の頃。
そこに至るまでのお話を少し。
高校卒業時に「漫画家になるんだ!」と息巻いて漫画を描き、完成した原稿を講談社に投稿。
「奨励賞」を受賞し(賞金5万円)、新人育成の為に「担当編集者」が付いた。調子に乗った2作品目は、またも「奨励賞」(賞金5万円)という結果。
担当編集者から、「次回作で上の賞を狙って本誌デビューしよう!」とアドバイスをもらう。
その中のアドバイスに「映画を観ると、ストーリー、構図、キャラ設定など勉強になるよ!」と言われ、なるほど確かに。今までも映画は好きでよく観ていたけど、「漫画の為」と思って観ていなかったなぁと。
その日から最大で1日5本の映画をレンタルして観まくる時間を過ごす。
#あの頃ってなんであんなに時間があったんだ!?
そこで気付いたことで、後の自分にとても重要な価値観を与えてくれた事がある。
・気付いたら見入っちゃってしまう作品と、
・冷静で分析する自分が評価しながら観てしまう作品があることを。
つまり、
圧倒された作品と
圧倒されなかった作品だ。
もちろん自分のその時の状況や好みもある。
だけど、「圧倒される作品」は観る人の多くの心を揺さぶる。
緻密に計算された演出の場合もあれば、
そこにしかない特別な想いや瞬間が切り取られている場合もある。
そして、映画だとそれは、1人の力ではなく、
多くの人の想いと力が合わさった総合芸術となる。
前置きが長くなってしまいましたが、
映画に魅了され、この総合芸術の物作りに自分も加わりたいと思うようになり、
その中でも自分は「俳優」というポジションに心を惹かれたのである。
全てのポジションが「表現」しているのはもちろんなのだが、
己の生まれ持った素材と培ってきた自分で表現する仕事「俳優」になりたいと強く思ったのだ。
山崎大昇が20歳の時である。
そうして、北海道にて俳優を目指し活動を始め、
事務所に登録し、エキストラの撮影に参加し、オーディションを受けCMやドラマ、映画に出演させていただくことになる。
ただ、もっともっと演じたい欲が強く、
映画を1日5本観ては、心を揺さぶられたように、
自分が演じた作品が多くの人の心を揺さぶりたい!と強く思うようになった。
そんな時、ショートフィルムと出会う。
「短い映画」
短編作品。
つまりどういう事か。
2時間の映画と比べると、
脚本(ストーリー)が短いということだ。
ゆっくり起承転結を伝えて、物語や登場人物に感情移入する時間が無いのだ。
当然、撮影期間も短くなるし、予算も少なくなる。
#内容によるけど。。。
短い中で、オチを付けたりアイデア勝負の世界だ。
そう。
センスと才能のみが前面に押し出されるのである。
23歳の時、ショートフィルムを初監督する。
「メロウ」という作品である。
#監督、脚本、主演、編集
この作品は多くの映画祭に入賞し、上映されることとなった。
多くの方にファンになっていただき、今でも「またメロウが観たいです」とお言葉をいただく事がある。
#本当に有り難いです♪
#幸せを感じる。
誰かの心に響いたのだ。
それから、
演じること、
映像を作ること、
が仕事になっていく。
そして、時を同じくして、
北海道で短編ドラマの番組がスタートした。
UHB(北海道文化放送)にて、
月9のドラマと「SMAP×SMAP」の間の超ゴールデン枠。
3分に満たないショートドラマ
「君のもとへかける虹」という番組だ。
約4年間続いたその番組で、沢山のショートドラマが制作された。
そして、沢山の北海道キャストがドラマ出演をした。
山崎は、出演、監督、助監督と4年間番組が終わるまで関わらせてもらった。
北海道中の俳優やタレントやモデルが
「出演する場所」があるというのは本当に大切なことで
どんなに魅力的な演者が居ても
輝ける場所がないと
そこには居られないのだ。
皆、東京に行く事になる。
東京が悪いわけじゃない。
東京に才能が集まって面白いものが沢山生まれるのは良いことだ。
だけど、どこに居ても情報が得られて、繋がれる今、
ここに居ても輝けるはずだ。
輝く場所さえあれば。
才能の見せ方、磨き方、輝かせ方はもう学んだ。
実績も積んできた。
山崎が出来ることは、
映像制作に関わる色々なこと。
演じること。
そして、人と人を繋ぐこと。
山崎はその、地方芸能界を「D」と名付け、
「輝く場所」作りをしている。
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